沖縄戦は、1941年から始まった太平洋戦争末期の1945年、アメリカ軍を主体とする連合軍と日本軍との間で行われた日本国内最大の地上戦です。多くの住民を巻き込んだ地上戦は、「醜さの極致」と言われるほどすさまじいものでした。
中城村では、日本軍が陣地構築のため駐屯し、北上原や南上原に陣地壕を構築しました。日本軍の陣地壕があることで、北上原・南上原一帯はアメリカ軍による熾烈な攻撃を受け、日米両軍の激しい戦闘が展開されました。沖縄戦における中城村出身者の戦没者数は5,198名※です。
※字別の統計は『終戦60周年記念誌 平和の風』(中城村遺族会)を引用しています。
※参考:平成27年度「平和の礎」刻銘者数より
年 | 月日 | 沖縄戦 | 中城村のできごと |
---|---|---|---|
1944年 | 4月1日 | 第32軍統帥発動。 | |
8月12日 | 沖縄より第一陣学童集団疎開者129人、鹿児島へ向け出港する。 | ||
喜舎場国民学校が第62師団第64旅団本部となる。 | |||
8月20日 | 第62師団長直轄の独立歩兵第12大隊(隊長賀谷與吉中佐)が部隊本部を津覇国民学校に置き、中城方面の防衛並びに作戦準備にとりかかった。 | ||
8月21日 | 第62師団長直轄の独立歩兵第11大隊(隊長三浦日出四郎中佐)が中城村に位置し、和宇慶、伊保浜海辺を重点に、アメリカ軍を水際において撃滅すべく陣地を構築した。 | ||
8月21日 | 津覇国民学校学童疎開団、暁空丸にて対馬丸、和浦丸とともに那覇港を出港する。 | ||
8月22日 | 学童疎開船対馬丸、悪石島沖で沈没する。学童・一般人700名の犠牲者が出る。 「学徒勤労令」、「女子挺身勤労令」公布。 | ||
8月28日 | 中城国民学校学童疎開団、泰久丸にて那覇出発。8月30日、鹿児島に着く。 | ||
8月29日 | 喜舎場国民学校の疎開児童、熊本へ出発する。 | ||
9月末~11月初 | 第32軍沖縄県民の現地徴集および、一部防衛召集を行う。 | ||
10月3日 | アメリカ統合参謀本部、アイスバーグ作戦(沖縄攻略作戦計画)を立案。 | ||
10月10日 | アメリカ機動部隊による沖縄大空襲がおきる。(10・10空襲) | ||
10月18日 | 日本全国、満18歳以上の男子を兵役に編入する。 | ||
10月19日 | 神風特別攻撃隊(特攻隊)が編成される。 | ||
12月 | 沖縄各地に緊急特設挺身隊が結成される。 | ||
12月1日 | 沖縄、非常食糧整備週間はじまる。 | ||
12月8日 | 独立混成第15連隊、喜舎場国民学校に連隊本部を置く。 | ||
1945年 | 1月3日~4日 | アメリカ軍艦載機沖縄・先島諸島が爆撃される。 | |
1月12日 | 島田叡大阪府内政部長、沖縄県知事に任命される(沖縄着1月31日)。 | ||
1月~3月 | 第32軍現地第二次防衛召集、満17歳から45歳までの健全な県民男子ほとんどを招集する。 | ||
2月7日 | 第32軍参謀長の沖縄県庁来訪、6か月の住民食糧緊急確保を島田知事に依頼する。 沖縄の平時地方行政から戦時行政への切り替え。 | ||
2月10日 | 沖縄本島内、北部疎開決定する。 | ||
2月15日 | 第32軍「戦闘指針」が沖縄県下の軍民に示達される。 標語「一機一艦船 一艇一船 一人十殺一戦車」。 沖縄全県下に市町村単位の国土防衛義勇隊の編成が始まる。 | ||
2月19日 | 沖縄県下、中学校単位の防衛隊の編成が始まる。 | ||
3月6日 | 「国民勤労動員令」公布。沖縄県、満15歳~45歳の男女、全員現地召集。 | ||
3月8日 | 賀谷支隊、越来国民学校から喜舎場国民学校へ移る。 | ||
3月14日 | 文部省、決戦教育措置を発表する。4月1日より、1年間全国の学校授業停止と決定する。 | ||
3月20日 | 大本営、「当面の作戦計画大綱」発令、沖縄作戦に重点をおくことを決定する。 | ||
3月23日 | アメリカ軍、沖縄本島爆撃開始(上陸前準備作戦)。 | アメリカ軍による空襲により、中城村の集落が焼夷弾による攻撃を受ける。 中城湾沿いの久場から津覇のあたりまでの集落が空襲による攻撃を受ける。 | |
3月25日 | アメリカ軍沖縄本島へ艦砲射撃を開始する。 | アメリカ機動隊よる艦砲射撃が開始され、同時に艦載機による空襲により、多大な損害を受ける。 | |
3月26日 | アメリカ軍慶良間諸島上陸。島内で住民の「強制集団死」が発生する。 | ||
3月27日 | 泊、伊舎堂、添石、屋宜あたりの集落が全焼したと考えられる(27、28日頃)。 | ||
3月30日 | 津覇国民学校がアメリカ軍の猛爆によりコンクリート校舎といくつかの教室を残して破壊 される。 奥間、津覇の集落にも火の手が上がった。 | ||
4月 | 中城国民学校の校舎が破壊される(4月4日まで残存が確認されているがそれ以降不明)。 | ||
中城城跡本丸にあった役場が破壊される(詳細不明)。 | |||
4月1日 | アメリカ軍、沖縄本島中部の西海岸に上陸し、即日、北・中飛行場(読谷飛行場)を奪取する。 | 賀谷支隊の一部が、上陸アメリカ軍と海岸付近で交戦する。 午後3時頃、賀谷中隊の一部が、桃原、山内の線に後退する。夜、賀谷支隊長は、第4中隊に屋宜原付近の確保、第3中隊に島袋方面高地の確保を命令する。 | |
4月2日 | アメリカ軍、東海岸の泡瀬一帯に進出する。 | 第12第隊(賀谷支隊)本部、兵力を集結し、161高地中城村新垣西南付近に転進を開始する。 石部隊が守備する中城城跡までアメリカ軍が侵入する。 | |
読谷山のチビチリガマで「強制集団死」が起きる。 | アメリカ軍、島袋・喜舎場の北側に進攻する。 | ||
久場の集落の前方が大方焼夷弾で焼かれる。1軒だけが残ったといわれる | |||
アメリカ軍の中城方面侵攻に伴い、中城郵便局(伊舎堂)の業務が停止し、壊滅する。 | |||
賀谷支隊の一部が北上原の161高地付近に転進を開始する。 | |||
4月3日 | アメリカ軍、普天間東西の線まで進出する。 | 泡瀬-熱田を南下したアメリカ軍が、久場方面にせまり、賀谷支隊が邀撃した。 賀谷支隊本部が161高地陣地に位置し、主力を161高地に転進する。 賀谷支隊の一部は野嵩、中城城跡の線でアメリカ軍の南下を阻止する。 アメリカ軍、島袋方面に突入する。また、久場方面に戦車を先頭に進出、久場崎海岸からアメリカ軍が出現した。 | |
瑞慶覧住民、御願山のガマから投降する。 | |||
4月4日 | アメリカ軍、北谷・島袋・大山・宜野湾の線まで進出する。沖縄本島を南北に分断する。 アメリカ軍、国頭地区に進撃を開始する。 | アメリカ軍、安谷屋-荻堂-久場-と喜友名-普天間の線まで進出する。 | |
新垣の第3中隊はアメリカ軍の攻撃をあび、死傷者が続出する。夜、賀谷支隊長は大隊を161.8高地に撤収するよう各隊に撤退命令を発す。 | |||
4月5日 | 北谷村砂辺捕虜収容所の約1500人の住民、トラックで島袋収容所に移送される。 | 当間、安里集落が焼失したと考えられる(4月5日以降)。 | |
この日までにアメリカ軍、宜野湾の第32軍主力陣地に攻撃を開始する。 アメリカ軍、読谷山村字比嘉に米国海軍政府樹立、島民の保護管理が始まる。 | 独立歩兵第14大隊の第1中隊の一部、161高地でアメリカ軍の攻撃を撃退したが6日、アメリカ軍の攻撃をうける。 | ||
アメリカ軍、奥間集落を占領する。中城国民学校の敷地が、アメリカ軍の砲陣地となる。 | |||
4月6日 | 日本軍、第一次航空総攻撃(菊水一号作戦)開始する。約400機が米艦隊を攻撃する。 | アメリカ軍が和宇慶陣地に進出したので、独立歩兵第十一大隊第五中隊(恩田隊)が交戦した。その後、兵力を増加したアメリカ軍と、和宇慶、内間、津覇、上原付近で連日激戦が展開した。 | |
新垣西方地区にアメリカ軍戦車出現し攻撃。 161高地の攻防戦が展開されたが、日本軍全滅状態に陥り、同夜142高地へ後退する。 アメリカ軍は和宇慶陣地に進出、独立歩兵第11大隊の第5中隊(恩田隊)は、これに交戦する。 アメリカ軍戦車約50、歩兵約500和宇慶の陣地前に進出、第11大隊、第5中隊(恩田隊)戦闘開始。その後、アメリカ軍兵力を増加し、和宇慶、津覇、上原付近において連日激戦を展開する。 | |||
4月7日 | 海上特攻の戦艦大和撃沈。 | 北上原の161高地が占領される。 | |
アメリカ軍、名護に進攻する。 | 賀谷支隊、本部幸地に位置し、主力を集結させる。南上原付近で死闘が展開される。アメリカ軍戦車3両を破壊する。 南上原、和宇慶の線でアメリカ軍の南下を阻止する。 | ||
4月8日 | アメリカ軍、前線西海岸内泊・牧港・東海岸津覇を結ぶ線まで侵攻する。 | 南上原-和宇慶の守備陣地はアメリカ軍の攻撃を受け、激戦が展開されるが、南上原陣地の一角がアメリカ軍に占領される。 | |
アメリカ軍、津覇集落を占領する。津覇の住民はアメリカ軍によって避難壕から保護され、泡瀬収容所に軍用トラックで収容される。(『津覇誌』) | |||
4月9日 | 嘉数地区にて攻防戦が開始され、4月14日まで続く。 | ||
4月10日 | 恩田隊は和宇慶集落を保持し、アメリカ軍の南下を阻止。その日以降、賀谷支隊は西原142高地、南上原155高地付近の陣地を強化し持久戦に移行する。 各中隊において3、4名組の挺身斬込隊を選出し、普天間、大城、津覇方面に潜入させ敵状偵察、戦車火砲の破壊などを命令する。 | ||
4月11日 | アメリカ軍、那覇方面へ進攻する。 | 和宇慶集落北側に進出してきたアメリカ軍の戦車を撃退する。 | |
4月14日 | 中城湾の米艦船、戦艦2、巡洋艦7、駆逐艦及び掃海艇16、輸送船5~10、戦車揚陸船20~30。 | ||
4月19日 | アメリカ軍、首里外郭陣地(じんち)(主力第62師団)に対し第一次総攻撃を開始する。 西方:牧港・伊祖、中央:嘉数・西原・棚原各高地、東方:和宇慶・ウシクンダ高地を結ぶ線にて攻防戦展開。 | 早朝、アメリカ軍が和宇慶に猛砲撃を加え、戦車、歩兵を伴って前進する。 | |
4月20日 | アメリカ軍第114連隊第2大隊は、執拗な攻撃をくり返し、伊集高地(糸蒲山一帯)を占領した。 | ||
5月9日 | 首里を核心とする第32軍の防御戦始まる(5月23日まで)。 | ||
6月19日 | 組織的戦闘不可能となり、第32軍軍司令部最後の命令が下達される。 | ||
6月22日 | 明け方、牛島満軍司令官、長勇参謀長、摩文仁山頂で自決(23日説あり)する。沖縄での組織的戦闘が終了する。 日本政府「国民義勇兵役法」公布。天皇、最高戦争指導会議に終戦意志を表示する。 | ||
7月26日 | 対日ポツダム宣言発表。 | ||
8月15日 | 天皇、終戦のラジオ放送。 | ||
9月7日 | 嘉手納の第10軍司令部にて降伏調印。沖縄戦終わる。 | ||
参考文献
|