問題1

歴史の道中城ハンタ道のハンタという意味はどれですか?

A

がけ

B

石畳いしだたみ

C

あなた

 

ハンタとは沖縄の言葉で崖や端を意味する言葉です。歴史の道中城ハンタ道は崖沿いの道であることから、地元でハンタ道と呼ばれていました。

問題2

中城城が築城ちくじょうされたのはいつごろでしょう?

A

16世紀

B

13世紀

C

10世紀

 

中城グスクが築城ちくじょうされたのは13世紀頃です。さち中城なかぐすく按司あじによって築城ちくじょうされ、14世紀頃護佐丸によって増築されました。

問題3

1945年、久場にアメリカ軍基地ができたため、中城村と分村した地域はどこでしょう。

A

北中城村

B

西原町

C

浦添市

 

沖縄戦後、久場全域・中城城跡一帯・熱田前原・大城後原・安谷屋桶川原・瑞慶覧全域がアメリカ軍に占領されました。当時の中城村は南北に分断されてしまい、戦後復興に大きな影響を与えました。そのため、中城村の分村について話し合いが行われ、1946年5月20日、中城村、北中城村が誕生し
ました。中城村と北中城村の分村は、沖縄戦がもたらした、やむ
を得ざる行政措置といえます。

問題4

中城城跡内に実際にあったものは次のうちどれ? 

A

役場

B

郵便局

C

診療所

 

1908年、中城間切役場から、中城村役場となり、中城城跡一のくるわにあった建物を増築して使用していました。当時の役場はチャーギ(和名:イヌマキ)でつくられていました。

問題5

田芋ターンム発祥はっしょうで知られるあざは次のうちどれでしょう?

A

南上原

B

久場

C

津覇

 

南上原にあった糸蒲いとがまという地域です。糸蒲いとがま寺のお坊さんが田芋を広めたといわれています

問題6

歴史の道中城ハンタ道は、首里向けに○○Km続いている道です。

A

6.9km

B

8.2km

C

10.5km

 

中城ハンタ道は首里グスクを起点とし、西原の幸地グスク、中城の新垣グスク、中城グスクを通り、東海岸をぬけ勝連方面へ向かう道です。

問題7
糸蒲の塔は何の塔?ふつう14糸蒲の塔
A

戦争で亡くなった人のための慰霊碑

B

昔集落があった記念碑

C

田芋発祥の記念碑

 

糸蒲の塔は沖縄戦で犠牲となった人たちの遺骨を集め安置している場所です。南上原一帯は熾烈な戦闘によって多くの死者を出した場所です。戦後、南上原の青年団を中心とした住民によって遺骨が集められ、この場所に塔を建て安置しました。現在は約800柱の御霊が祀られています。

問題8
この写真の石積み方法の名前はなんでしょうか?
A

布積み

B

相方積み

C

野面積み

問題9

中城村の村魚は何でしょうか?

A

タイ

B

カツオ

C

モモイトヨリ

 

モモイトヨリは、イトヨリダイ科の魚で方言でイジュキンと呼びます。1985年に選定されました。

問題10

沖縄戦時に砲弾を浴びてもなお現在も生きている木が津覇小学校内にあります。次の内どの木でしょうか?

A

クロキ

B

ガジュマル

C

ビロウ

 

ビロウの木は樹齢が推定100年以降のヤシ科の植物です。去った沖縄戦では幹に2月の砲弾を受け折れてしまいましたが、その後弾痕を残しながら成長し、今なおたくましく生きてます。

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