問題1

沖縄戦時に砲弾を浴びてもなお現在も生きている木が津覇小学校内にあります。次の内どの木でしょうか?

A

クロキ

B

ガジュマル

C

ビロウ

 

ビロウの木は樹齢が推定100年以降のヤシ科の植物です。去った沖縄戦では幹に2月の砲弾を受け折れてしまいましたが、その後弾痕を残しながら成長し、今なおたくましく生きてます。

問題2

中城城跡内に実際にあったものは次のうちどれ? 

A

役場

B

郵便局

C

診療所

 

1908年、中城間切役場から、中城村役場となり、中城城跡一のくるわにあった建物を増築して使用していました。当時の役場はチャーギ(和名:イヌマキ)でつくられていました。

問題3

中城村の特産品はなに? (ヒント:ごさまる君がもっている)

A

豆腐

B

トマト

C

島にんじん

 

11月ごろに収穫される島にんじんですが、沖縄県の各地で販売されている島にんじんの70%は中城産のものです。

問題4

2016年に中城村にできた資料図書館の名前は?

A

ごさまるハウス

B

中城村護佐丸歴史資料図書館

C

吉の浦図書館

 

正解は 1の中城村なかぐすくそん護佐丸ごさまる歴史資料れきししりょう図書館としょかん
 長いけど・・・ぜひ覚えてね!

問題5

1945年、久場にアメリカ軍基地ができたため、中城村と分村した地域はどこでしょう。

A

浦添市

B

北中城村

C

西原町

 

沖縄戦後、久場全域・中城城跡一帯・熱田前原・大城後原・安谷屋桶川原・瑞慶覧全域がアメリカ軍に占領されました。当時の中城村は南北に分断されてしまい、戦後復興に大きな影響を与えました。そのため、中城村の分村について話し合いが行われ、1946年5月20日、中城村、北中城村が誕生し
ました。中城村と北中城村の分村は、沖縄戦がもたらした、やむ
を得ざる行政措置といえます。

問題6
戦後引揚者上陸碑はどこにある?ふつう16戦後引揚者上陸碑 ①
A

久場

B

C

屋宜

 

戦後引揚者上陸碑は字久場の久場崎にあります。久場は沖縄戦後、米軍基地として収容され、久場崎は本土や海外に疎開した人々を迎え入れるための港として機能しました。久場崎は閉鎖されるまでの約4か月間で10万人あまりの人たちを迎え入れました。この碑はそんな久場崎の歴史と戦争の悲惨さを後世に残すために平成8年に建てられました。

問題7

中城村の村木は何でしょうか?

A

リュウキュウコクタン

B

リュウキュウマツ

C

ガジュマル

 

リュウキュウコクタンは方言でクロキと言われ、1985年に選定されました。

問題8

中城城の城主護佐丸が建てたといわれるグスクはどれ?

A

首里城

B

座喜味城

C

勝連城

 

座喜味城跡は15世紀頃、護佐丸によって造られたといわれています。

問題9

護佐丸を自害に追い詰めた勝連の武将といえば?

A

阿麻和利

B

鬼大城

C

尚巴志

 

阿麻和利は勝連グスクの10代目城主として勝連を治めていた人物です。阿麻和利は琉球王国を自分のものとするために中山王に讒言し、護佐丸を討つように仕向けました。これを「護佐丸・阿麻和利の乱」といいます。しかし、阿麻和利は地元勝連では英雄として語り継がれています。

問題10
糸蒲の塔は何の塔?ふつう14糸蒲の塔
A

昔集落があった記念碑

B

戦争で亡くなった人のための慰霊碑

C

田芋発祥の記念碑

 

糸蒲の塔は沖縄戦で犠牲となった人たちの遺骨を集め安置している場所です。南上原一帯は熾烈な戦闘によって多くの死者を出した場所です。戦後、南上原の青年団を中心とした住民によって遺骨が集められ、この場所に塔を建て安置しました。現在は約800柱の御霊が祀られています。

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