問題1
この写真の石積み方法の名前はなんでしょうか?
A

相方積み

B

布積み

C

野面積み

問題2

この中でペリー奥地探検隊が行っていない場所はどこ?

A

ターチャー石

B

新垣グスク

C

中城グスク(中城間切番所)

 

1853年に来琉したアメリカのペリー提督は、琉球奥地探検隊を編成し沖縄本島内を回りました。この時に新垣にあるターチャー石を「旗立岩」と命名し、中城グスクを訪れ城内の測量を行いました。よって探検隊が行ってないのは新垣グスクになります。

問題3

津覇にある伝統芸能は?

A

ターファークー

B

旗スガシー

C

獅子舞

 

獅子舞は約500年続いているといわれている津覇の伝統芸能です。

問題4

中城城の城主護佐丸が建てたといわれるグスクはどれ?

A

勝連城

B

首里城

C

座喜味城

 

座喜味城跡は15世紀頃、護佐丸によって造られたといわれています。

問題5

沖縄戦時に砲弾を浴びてもなお現在も生きている木が津覇小学校内にあります。次の内どの木でしょうか?

A

クロキ

B

ガジュマル

C

ビロウ

 

ビロウの木は樹齢が推定100年以降のヤシ科の植物です。去った沖縄戦では幹に2月の砲弾を受け折れてしまいましたが、その後弾痕を残しながら成長し、今なおたくましく生きてます。

問題6

1945年、久場にアメリカ軍基地ができたため、中城村と分村した地域はどこでしょう。

A

西原町

B

浦添市

C

北中城村

 

沖縄戦後、久場全域・中城城跡一帯・熱田前原・大城後原・安谷屋桶川原・瑞慶覧全域がアメリカ軍に占領されました。当時の中城村は南北に分断されてしまい、戦後復興に大きな影響を与えました。そのため、中城村の分村について話し合いが行われ、1946年5月20日、中城村、北中城村が誕生し
ました。中城村と北中城村の分村は、沖縄戦がもたらした、やむ
を得ざる行政措置といえます。

問題7
戦後引揚者上陸碑はどこにある?ふつう16戦後引揚者上陸碑 ①
A

久場

B

屋宜

C

 

戦後引揚者上陸碑は字久場の久場崎にあります。久場は沖縄戦後、米軍基地として収容され、久場崎は本土や海外に疎開した人々を迎え入れるための港として機能しました。久場崎は閉鎖されるまでの約4か月間で10万人あまりの人たちを迎え入れました。この碑はそんな久場崎の歴史と戦争の悲惨さを後世に残すために平成8年に建てられました。

問題8

歴史の道中城ハンタ道のハンタという意味はどれですか?

A

あなた

B

がけ

C

石畳いしだたみ

 

ハンタとは沖縄の言葉で崖や端を意味する言葉です。歴史の道中城ハンタ道は崖沿いの道であることから、地元でハンタ道と呼ばれていました。

問題9

中城村の村魚は何でしょうか?

A

タイ

B

カツオ

C

モモイトヨリ

 

モモイトヨリは、イトヨリダイ科の魚で方言でイジュキンと呼びます。1985年に選定されました。

問題10

中城城跡内に実際にあったものは次のうちどれ? 

A

診療所

B

役場

C

郵便局

 

1908年、中城間切役場から、中城村役場となり、中城城跡一のくるわにあった建物を増築して使用していました。当時の役場はチャーギ(和名:イヌマキ)でつくられていました。

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