問題1
戦後引揚者上陸碑はどこにある?ふつう16戦後引揚者上陸碑 ①
A

久場

B

屋宜

C

 

戦後引揚者上陸碑は字久場の久場崎にあります。久場は沖縄戦後、米軍基地として収容され、久場崎は本土や海外に疎開した人々を迎え入れるための港として機能しました。久場崎は閉鎖されるまでの約4か月間で10万人あまりの人たちを迎え入れました。この碑はそんな久場崎の歴史と戦争の悲惨さを後世に残すために平成8年に建てられました。

問題2
この写真の石積み方法の名前はなんでしょうか?
A

野面積み

B

布積み

C

相方積み

問題3

歴史の道中城ハンタ道は、首里向けに○○Km続いている道です。

A

8.2km

B

10.5km

C

6.9km

 

中城ハンタ道は首里グスクを起点とし、西原の幸地グスク、中城の新垣グスク、中城グスクを通り、東海岸をぬけ勝連方面へ向かう道です。

問題4

中城城の城主護佐丸が建てたといわれるグスクはどれ?

A

座喜味城

B

首里城

C

勝連城

 

座喜味城跡は15世紀頃、護佐丸によって造られたといわれています。

問題5

次のうち2014年に国指定文化財に指定されたものはどれでしょう?

A

中城城跡

B

中城ハンタ道

C

屋宜湊やぎみなと

 

2014年、新垣グスクや新垣集落跡が残る新垣地区、添石ヌンドゥンチの墓がある伊舎堂地区が国の史跡に指定されました。

問題6

護佐丸を自害に追い詰めた勝連の武将といえば?

A

尚巴志

B

阿麻和利

C

鬼大城

 

阿麻和利は勝連グスクの10代目城主として勝連を治めていた人物です。阿麻和利は琉球王国を自分のものとするために中山王に讒言し、護佐丸を討つように仕向けました。これを「護佐丸・阿麻和利の乱」といいます。しかし、阿麻和利は地元勝連では英雄として語り継がれています。

問題7

昔から中城村で現金収入源として多く栽培されていた砂糖の原料となる作物は?

A

B

サトウキビ

C

 

サトウキビは貴重な現金収入源として琉球王国時代から栽培されていました。現在の中城でも基幹作物として多くの畑で栽培されています。

問題8

沖縄戦時に砲弾を浴びてもなお現在も生きている木が津覇小学校内にあります。次の内どの木でしょうか?

A

ガジュマル

B

クロキ

C

ビロウ

 

ビロウの木は樹齢が推定100年以降のヤシ科の植物です。去った沖縄戦では幹に2月の砲弾を受け折れてしまいましたが、その後弾痕を残しながら成長し、今なおたくましく生きてます。

問題9

1945年、久場にアメリカ軍基地ができたため、中城村と分村した地域はどこでしょう。

A

西原町

B

北中城村

C

浦添市

 

沖縄戦後、久場全域・中城城跡一帯・熱田前原・大城後原・安谷屋桶川原・瑞慶覧全域がアメリカ軍に占領されました。当時の中城村は南北に分断されてしまい、戦後復興に大きな影響を与えました。そのため、中城村の分村について話し合いが行われ、1946年5月20日、中城村、北中城村が誕生し
ました。中城村と北中城村の分村は、沖縄戦がもたらした、やむ
を得ざる行政措置といえます。

問題10

この中でペリー奥地探検隊が行っていない場所はどこ?

A

ターチャー石

B

中城グスク(中城間切番所)

C

新垣グスク

 

1853年に来琉したアメリカのペリー提督は、琉球奥地探検隊を編成し沖縄本島内を回りました。この時に新垣にあるターチャー石を「旗立岩」と命名し、中城グスクを訪れ城内の測量を行いました。よって探検隊が行ってないのは新垣グスクになります。

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