問題1

中城城跡内に実際にあったものは次のうちどれ? 

A

郵便局

B

診療所

C

役場

 

1908年、中城間切役場から、中城村役場となり、中城城跡一のくるわにあった建物を増築して使用していました。当時の役場はチャーギ(和名:イヌマキ)でつくられていました。

問題2

中城城が築城ちくじょうされたのはいつごろでしょう?

A

16世紀

B

10世紀

C

13世紀

 

中城グスクが築城ちくじょうされたのは13世紀頃です。さち中城なかぐすく按司あじによって築城ちくじょうされ、14世紀頃護佐丸によって増築されました。

問題3

沖縄戦時に砲弾を浴びてもなお現在も生きている木が津覇小学校内にあります。次の内どの木でしょうか?

A

ガジュマル

B

ビロウ

C

クロキ

 

ビロウの木は樹齢が推定100年以降のヤシ科の植物です。去った沖縄戦では幹に2月の砲弾を受け折れてしまいましたが、その後弾痕を残しながら成長し、今なおたくましく生きてます。

問題4
この写真はどこでしょう?
A

糸蒲寺

B

津覇のテラ

C

安里のテラ

 

安里のテラは子孫繁栄、健康祈願、五穀豊穣の御利益があるといわれています。

問題5

中城村の村木は何でしょうか?

A

ガジュマル

B

リュウキュウコクタン

C

リュウキュウマツ

 

リュウキュウコクタンは方言でクロキと言われ、1985年に選定されました。

問題6

中城村内にある日本軍が構築した

高地陣地はなんでしょう?

A

北上原高地陣地

B

中城高地陣地

C

161.8高地陣地

 

標高161.8mの場所に建てられた高地陣地です。敵の目をあざむくためなるべく自然の岩に近い形でつくられています。北上原の石工5~6名や住民20~30名ほどで、軽便鉄道の鉄骨と松の木を基礎としコンクリートを固めてつくられました。

問題7

歴史の道中城ハンタ道のハンタという意味はどれですか?

A

がけ

B

石畳いしだたみ

C

あなた

 

ハンタとは沖縄の言葉で崖や端を意味する言葉です。歴史の道中城ハンタ道は崖沿いの道であることから、地元でハンタ道と呼ばれていました。

問題8

1945年、久場にアメリカ軍基地ができたため、中城村と分村した地域はどこでしょう。

A

浦添市

B

北中城村

C

西原町

 

沖縄戦後、久場全域・中城城跡一帯・熱田前原・大城後原・安谷屋桶川原・瑞慶覧全域がアメリカ軍に占領されました。当時の中城村は南北に分断されてしまい、戦後復興に大きな影響を与えました。そのため、中城村の分村について話し合いが行われ、1946年5月20日、中城村、北中城村が誕生し
ました。中城村と北中城村の分村は、沖縄戦がもたらした、やむ
を得ざる行政措置といえます。

問題9
中城城跡にあるこれはなんでしょう?

A

のぞき穴

B

失敗作

C

銃を入れるための穴

 

中城城跡にはこのような穴がいくつかあります。これは火矢と呼ばれる火器の銃口を入れるためのもで、銃眼といわれています。ある意味「のぞき穴」の正解かも!?

問題10

中城村の特産品はなに? (ヒント:ごさまる君がもっている)

A

島にんじん

B

トマト

C

豆腐

 

11月ごろに収穫される島にんじんですが、沖縄県の各地で販売されている島にんじんの70%は中城産のものです。

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