問題1

歴史の道中城ハンタ道は、首里向けに○○Km続いている道です。

A

10.5km

B

8.2km

C

6.9km

 

中城ハンタ道は首里グスクを起点とし、西原の幸地グスク、中城の新垣グスク、中城グスクを通り、東海岸をぬけ勝連方面へ向かう道です。

問題2

中城村の特産品はなに? (ヒント:ごさまる君がもっている)

A

島にんじん

B

トマト

C

豆腐

 

11月ごろに収穫される島にんじんですが、沖縄県の各地で販売されている島にんじんの70%は中城産のものです。

問題3

沖縄戦時に砲弾を浴びてもなお現在も生きている木が津覇小学校内にあります。次の内どの木でしょうか?

A

ガジュマル

B

ビロウ

C

クロキ

 

ビロウの木は樹齢が推定100年以降のヤシ科の植物です。去った沖縄戦では幹に2月の砲弾を受け折れてしまいましたが、その後弾痕を残しながら成長し、今なおたくましく生きてます。

問題4

1945年、久場にアメリカ軍基地ができたため、中城村と分村した地域はどこでしょう。

A

西原町

B

浦添市

C

北中城村

 

沖縄戦後、久場全域・中城城跡一帯・熱田前原・大城後原・安谷屋桶川原・瑞慶覧全域がアメリカ軍に占領されました。当時の中城村は南北に分断されてしまい、戦後復興に大きな影響を与えました。そのため、中城村の分村について話し合いが行われ、1946年5月20日、中城村、北中城村が誕生し
ました。中城村と北中城村の分村は、沖縄戦がもたらした、やむ
を得ざる行政措置といえます。

問題5

この中でペリー奥地探検隊が行っていない場所はどこ?

A

中城グスク(中城間切番所)

B

新垣グスク

C

ターチャー石

 

1853年に来琉したアメリカのペリー提督は、琉球奥地探検隊を編成し沖縄本島内を回りました。この時に新垣にあるターチャー石を「旗立岩」と命名し、中城グスクを訪れ城内の測量を行いました。よって探検隊が行ってないのは新垣グスクになります。

問題6

昔から中城村で現金収入源として多く栽培されていた砂糖の原料となる作物は?

A

サトウキビ

B

C

 

サトウキビは貴重な現金収入源として琉球王国時代から栽培されていました。現在の中城でも基幹作物として多くの畑で栽培されています。

問題7

歴史の道中城ハンタ道のハンタという意味はどれですか?

A

あなた

B

がけ

C

石畳いしだたみ

 

ハンタとは沖縄の言葉で崖や端を意味する言葉です。歴史の道中城ハンタ道は崖沿いの道であることから、地元でハンタ道と呼ばれていました。

問題8

中城城跡内に実際にあったものは次のうちどれ? 

A

診療所

B

役場

C

郵便局

 

1908年、中城間切役場から、中城村役場となり、中城城跡一のくるわにあった建物を増築して使用していました。当時の役場はチャーギ(和名:イヌマキ)でつくられていました。

問題9

中城城の城主護佐丸が建てたといわれるグスクはどれ?

A

首里城

B

勝連城

C

座喜味城

 

座喜味城跡は15世紀頃、護佐丸によって造られたといわれています。

問題10
中城村伊集で行われている伝統行事は?
A

パーランクー

B

ごさまる祭り

C

ターファークー

 

伊集のターファークーは中国から移民してきた久米びん人36姓によって伝えられたと言われています。現在、ターファークーを受け継いでいるのは伊集だけです。沖縄県の無形民俗文化財に指定されています。

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