問題1

中城城跡内に実際にあったものは次のうちどれ? 

A

役場

B

郵便局

C

診療所

 

1908年、中城間切役場から、中城村役場となり、中城城跡一のくるわにあった建物を増築して使用していました。当時の役場はチャーギ(和名:イヌマキ)でつくられていました。

問題2
この写真の石積み方法の名前はなんでしょうか?
A

相方積み

B

野面積み

C

布積み

問題3

昔から中城村で現金収入源として多く栽培されていた砂糖の原料となる作物は?

A

B

C

サトウキビ

 

サトウキビは貴重な現金収入源として琉球王国時代から栽培されていました。現在の中城でも基幹作物として多くの畑で栽培されています。

問題4

中城グスクを築城した人物ではない人は?

A

尚清

B

さち中城なかぐすく按司あじ

C

護佐丸

 

尚清は第二尚氏4代目国王です。彼は、第二尚氏3代目琉球国王尚真王の5男として生まれ、王族で初めて中城を領地として賜ったといわれています。

問題5

 

中城村指定有形民俗文化財の安里のテラでは何が祈願されていますか? 

 

A

交通安全

B

合格祈願

C

子宝祈願

 

子孫繁栄・無病息災などを祈願する拝所です。

問題6
中城城跡にあるこれはなんでしょう?

A

のぞき穴

B

銃を入れるための穴

C

失敗作

 

中城城跡にはこのような穴がいくつかあります。これは火矢と呼ばれる火器の銃口を入れるためのもで、銃眼といわれています。ある意味「のぞき穴」の正解かも!?

問題7

歴史の道中城ハンタ道のハンタという意味はどれですか?

A

あなた

B

がけ

C

石畳いしだたみ

 

ハンタとは沖縄の言葉で崖や端を意味する言葉です。歴史の道中城ハンタ道は崖沿いの道であることから、地元でハンタ道と呼ばれていました。

問題8

この中でペリー奥地探検隊が行っていない場所はどこ?

A

ターチャー石

B

新垣グスク

C

中城グスク(中城間切番所)

 

1853年に来琉したアメリカのペリー提督は、琉球奥地探検隊を編成し沖縄本島内を回りました。この時に新垣にあるターチャー石を「旗立岩」と命名し、中城グスクを訪れ城内の測量を行いました。よって探検隊が行ってないのは新垣グスクになります。

問題9
戦後引揚者上陸碑はどこにある?ふつう16戦後引揚者上陸碑 ①
A

屋宜

B

C

久場

 

戦後引揚者上陸碑は字久場の久場崎にあります。久場は沖縄戦後、米軍基地として収容され、久場崎は本土や海外に疎開した人々を迎え入れるための港として機能しました。久場崎は閉鎖されるまでの約4か月間で10万人あまりの人たちを迎え入れました。この碑はそんな久場崎の歴史と戦争の悲惨さを後世に残すために平成8年に建てられました。

問題10

護佐丸の墓は次の写真のうちどれでしょう?

ふつう23玉陵

ふつう23護佐丸の墓

ふつう23伊集のガマク小と儀保大工の墓

A

B

C

 

護佐丸の墓は、沖縄県内にある亀甲墓の中で最も古いお墓といわれています。1686年、護佐丸から8代目にあたる毛氏、豊見城親方盛定によりつくられました。

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