問題1
この写真の石積み方法の名前はなんでしょうか?
A

相方積み

B

野面積み

C

布積み

問題2

中城城跡内に実際にあったものは次のうちどれ? 

A

郵便局

B

診療所

C

役場

 

1908年、中城間切役場から、中城村役場となり、中城城跡一のくるわにあった建物を増築して使用していました。当時の役場はチャーギ(和名:イヌマキ)でつくられていました。

問題3

津覇にある伝統芸能は?

A

ターファークー

B

旗スガシー

C

獅子舞

 

獅子舞は約500年続いているといわれている津覇の伝統芸能です。

問題4

護佐丸の墓は次の写真のうちどれでしょう?

ふつう23玉陵

ふつう23護佐丸の墓

ふつう23伊集のガマク小と儀保大工の墓

A

B

C

 

護佐丸の墓は、沖縄県内にある亀甲墓の中で最も古いお墓といわれています。1686年、護佐丸から8代目にあたる毛氏、豊見城親方盛定によりつくられました。

問題5

1945年、久場にアメリカ軍基地ができたため、中城村と分村した地域はどこでしょう。

A

北中城村

B

西原町

C

浦添市

 

沖縄戦後、久場全域・中城城跡一帯・熱田前原・大城後原・安谷屋桶川原・瑞慶覧全域がアメリカ軍に占領されました。当時の中城村は南北に分断されてしまい、戦後復興に大きな影響を与えました。そのため、中城村の分村について話し合いが行われ、1946年5月20日、中城村、北中城村が誕生し
ました。中城村と北中城村の分村は、沖縄戦がもたらした、やむ
を得ざる行政措置といえます。

問題6

昔から中城村で現金収入源として多く栽培されていた砂糖の原料となる作物は?

A

サトウキビ

B

C

 

サトウキビは貴重な現金収入源として琉球王国時代から栽培されていました。現在の中城でも基幹作物として多くの畑で栽培されています。

問題7
戦後引揚者上陸碑はどこにある?ふつう16戦後引揚者上陸碑 ①
A

屋宜

B

久場

C

 

戦後引揚者上陸碑は字久場の久場崎にあります。久場は沖縄戦後、米軍基地として収容され、久場崎は本土や海外に疎開した人々を迎え入れるための港として機能しました。久場崎は閉鎖されるまでの約4か月間で10万人あまりの人たちを迎え入れました。この碑はそんな久場崎の歴史と戦争の悲惨さを後世に残すために平成8年に建てられました。

問題8

中城城が築城ちくじょうされたのはいつごろでしょう?

A

10世紀

B

16世紀

C

13世紀

 

中城グスクが築城ちくじょうされたのは13世紀頃です。さち中城なかぐすく按司あじによって築城ちくじょうされ、14世紀頃護佐丸によって増築されました。

問題9

沖縄戦時に砲弾を浴びてもなお現在も生きている木が津覇小学校内にあります。次の内どの木でしょうか?

A

ビロウ

B

クロキ

C

ガジュマル

 

ビロウの木は樹齢が推定100年以降のヤシ科の植物です。去った沖縄戦では幹に2月の砲弾を受け折れてしまいましたが、その後弾痕を残しながら成長し、今なおたくましく生きてます。

問題10
中城城跡にあるこれはなんでしょう?

A

のぞき穴

B

失敗作

C

銃を入れるための穴

 

中城城跡にはこのような穴がいくつかあります。これは火矢と呼ばれる火器の銃口を入れるためのもで、銃眼といわれています。ある意味「のぞき穴」の正解かも!?

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